母子寮から卒業

母子寮から行くことになった保育園。そこの保育園では今では嫌いな虫取りをよくやった。道路工事の人からカブトムシの幼虫をもらったりみんなでセミ取りを楽しんだ。好きな子もできて楽しかった気がする。みんな元気かな〜とたまに思う。

母子寮では同学年の子とシャボン玉をした。遊びは楽しいのだけれど、母子寮にはいくつかのルールがあった。風呂はなく外にシャワー室があって確か15分しか入れなかった。ノロマな僕には少し大変。月に何回かは銭湯に行っていたのだが、体の大きい僕は女湯に母と行くのだが年齢がもっと上に見えたのだろうかおばちゃん?に男湯に行くよう言われたのが面倒と感じた。外出する時には札があってそれをひっくり返して出かけ帰ってきたら元に戻す。懐かしい。

そんなこんなで生活していたら、母にも新しい男の人ができた。よく夜に公園に行って散歩していたのを覚えている。この男の人が将来の父になることになる。

父とは昔はうまくいっていたがもう10年以上話していない。そのことはもう少し後に書こうと思う。

また新しい保育園になった。そこでは何か調子が悪いと感じ母と町医者に行ったのだが、ただの風邪と言われただけだったのだが、体調がさらに悪化して総合病院に行ったら肺炎と診断されて即入院になった。僕は泣きじゃくっていたが小児科に入院した。今ではよくないと思うがナースコールで遊んでいたのを覚えている。看護師さんすみませんでした。

点滴が逆流して血が出るのが嫌だったが治療は点滴のみだったので一週間で退院した。

今日はここまで。

 

 

生い立ちの記

何だか昔が懐かしくなってきたので自分の人生をブログに書いて思い返してみようと思う。

多分波乱万丈な人生を歩んできたと思う。普通ではない人生だけど時折少しだけ昔に戻ってみたいとか思う。戻れはしないけど思い出して色々なことを振り返るいい機会だと思うから。

早速書いてみようと思う。

僕は武蔵野市?の日赤病院で生まれた。物心がついた時には母親と僕と基本的には2人で生活していた。

たまに帰ってくる父親はあまり覚えてないけど、怖い感じの人だったらしい。少し覚えてるのは、僕がおもちゃで遊んで片付けなかったことを怒って怒鳴られたこと。

父親と紹介しているが、戸籍上実の父親ではない。父親には家庭があった。だからたまにしか帰ってこない。そんな父親もある日全く帰ってこなくなった。

母親は悲しんでいたがそれでも僕と生活をしなくてはいけないから母子寮に2人で生活することになった。2人といっても母子寮だから共同生活だ。

母子寮は6畳くらいの部屋があるだけのすごい小さな部屋だった。ここから保育園に母親と行くことになる。僕は当時5歳になっていた。

今日はここまで。